東京、多摩地区の青梅駅前にできた 「マイコン博物館(https://scitech.or.jp/museum/)」 を見学してきました。
電子で計算するコンピュータの源流となる機材も展示
Remington Rand社の手動タイプライタ。後にUNIVACシリーズを製造する会社は事務機器としてのタイプライタを製造していた。
こちらはキーの打鍵がスイッチになっていて、活字を紙に打ち込むのは電動で行う電動タイプライタ。
打鍵が軽いので手や指の負担が小さくなる。
手動機械式計算機 タイガー計算機
情報理論のクロード・シャノン自らが設計したという デジタル情報演算の演習用コンピュータ
巨大な円盤は黎明期のハードディスク
この円盤モジュールを機械にガチャンとはめ込んで読み書きする。
ディスク部を交換しないタイプ。これが今のハードディスクの直接のご先祖となる。

ハードディスクの中身
三角関数や微分・積分演算などなどが可能
紙テープリーダや128桁プリンタも備えた電子計算機
その頃、個人や中規模の事業所で漢字入りの活字文書を作成するのに使われた和文タイプライタ。
カナ漢字変換などは当然無く、手前の活字表でカナや漢字を1文字ずつ指定するとその下にある活字ケースから連動した活字が選ばれて打ち込めるという仕組。
活字表で用意できる文字は数百個程度が限界でサイズも固定という制限があった。
「学生時代に使ったコトがあります」と言ったら、博物館の方に「え!
これまで知ってるとか見たことがある人はいましたが、使った事がある人は初めてです!!」とビックリされてしまった(^^;)
だって字が下手だったし、学校の備品としてあったんだもの。
アナログ式電子計算機。
電気信号パルスから微分解析した波形が演算されるというタイプ
1970年代末から日本にもデジタル電子計算機をLSIベースで製造して、個人でも購入できる「マイコン」が登場。
当時は「Micro Computer」や「My Computer」との意味合いで「マイコン」呼びがメジャーでした。
SHARPのMZ-80K

そして、SHARP/富士通/NECが3大勢力となる80年代が始まる。
「先進のクリーンコンピュータ」とのコピーでグリーンディスプレイ、記憶装置としてのカセットテープレコーダが一体化したMZ-80B

富士通のFM-8には「磁気バブルメモリ」という記憶媒体が採用されていた。本体そのものでもあるキーボードの上部右側の黒い蓋の部分がそのデバイス。

そして、後に覇者となるNECのPC-8001。
カラーモニターに5インチFDD、記憶媒体としてのカセットテープデッキまで揃えた状態。

1980年代前半は各社が競って独自アーキテクチャのマイコンを発売していた時代。
トミー(現:タカラトミー)から発売の「ぴゅう太」
ゲームが自作できるゲーム機という性格の商品でコマンド体系が日本語という「日本語BASIC」が搭載されていた。

ナショナル(現:パナソニック)が発売した JR.100


三菱の16BitCPUがアピールポイントで事業所でのビジネスユースをターゲットとしてた Multi-16
ディスプレイとFDDがオールインワンでまとめられている。
沖電気のif-800 はディスプレイ、8インチFDDに加えてドットインパクトプリンタまでも内蔵したビジネスユース向け。
当時の価格は100万円を軽く超える高級機なので個人で購入というのは想定されていなかった模様。
NECが圧倒的な覇権を制する契機となった PC-9801
16Bit CPUでの高機能と
PC-8801/PC-8001の上位互換性を担保していたことで「これまでのアプリやデータも使えます」というのも大きなアピールだった。

同じ頃、プログラミング制御で操作するロボアーム「ムーブ・マスター」が登場し「メカトロニクス」(機械の電気的操作)のデジタル化を個人レベルでも演習でき
るようになりました。

NECのPC-100はさらに
ビジネス用途をターゲットとして文書作成に便利な縦型ディスプレイも選択でき、日本初の「マウス操作でのGUI」と「MS-DOS」搭載機でした。
しかしPC-9801系とは異なる体系と高価格なために知る人ぞ知るマシンとなっている。


1990年代前半まではワープロ専用機もにぎわっていました。







