マイコン博物館 2024

東京、多摩地区の青梅駅前にできた 「マイコン博物館(https://scitech.or.jp/museum/)」 を見学してきました。





手荷物を預けるロッカーにはCPU名



電子で計算するコンピュータの源流となる機材も展示
Remington Rand社の手動タイプライタ。後にUNIVACシリーズを製造する会社は事務機器としてのタイプライタを製造していた。

こちらはキーの打鍵がスイッチになっていて、活字を紙に打ち込むのは電動で行う電動タイプライタ。
打鍵が軽いので手や指の負担が小さくなる。




Remington Rans社の機械式計算機と第二次大戦中に軍の要請で製造していたM1911拳銃


手動機械式計算機 タイガー計算機



情報理論のクロード・シャノン自らが設計したという デジタル情報演算の演習用コンピュータ



巨大な円盤は黎明期のハードディスク
この円盤モジュールを機械にガチャンとはめ込んで読み書きする。




上記のメモリディスクを読み書きする磁気ヘッド


ディスク部を交換しないタイプ。これが今のハードディスクの直接のご先祖となる。


ハードディスクの中身



 
NASAで利用されていた電気計算機



小さなディスプレイに4行で数字が表示される


三角関数や微分・積分演算などなどが可能



東芝 Toscal の電気計算機
この時点ではアクリル板に数字を彫り、それに光を当てて数字を表示していたとのこと。
ニキシー管での表示はこの方式の後だそう。


紙テープリーダや128桁プリンタも備えた電子計算機




その頃、個人や中規模の事業所で漢字入りの活字文書を作成するのに使われた和文タイプライタ。

カナ漢字変換などは当然無く、手前の活字表でカナや漢字を1文字ずつ指定するとその下にある活字ケースから連動した活字が選ばれて打ち込めるという仕組。
活字表で用意できる文字は数百個程度が限界でサイズも固定という制限があった。

「学生時代に使ったコトがあります」と言ったら、博物館の方に「え! これまで知ってるとか見たことがある人はいましたが、使った事がある人は初めてです!!」とビックリされてしまった(^^;)
だって字が下手だったし、学校の備品としてあったんだもの。



アナログ式電子計算機。
電気信号パルスから微分解析した波形が演算されるというタイプ




1970年代末から日本にもデジタル電子計算機をLSIベースで製造して、個人でも購入できる「マイコン」が登場。
当時は「Micro Computer」や「My Computer」との意味合いで「マイコン」呼びがメジャーでした。

SHARPのMZ-80K



そして、SHARP/富士通/NECが3大勢力となる80年代が始まる。

「先進のクリーンコンピュータ」とのコピーでグリーンディスプレイ、記憶装置としてのカセットテープレコーダが一体化したMZ-80B


富士通のFM-8には「磁気バブルメモリ」という記憶媒体が採用されていた。本体そのものでもあるキーボードの上部右側の黒い蓋の部分がそのデバイス。


そして、後に覇者となるNECのPC-8001。
カラーモニターに5インチFDD、記憶媒体としてのカセットテープデッキまで揃えた状態。


1980年代前半は各社が競って独自アーキテクチャのマイコンを発売していた時代。

トミー(現:タカラトミー)から発売の「ぴゅう太」
ゲームが自作できるゲーム機という性格の商品でコマンド体系が日本語という「日本語BASIC」が搭載されていた。


ナショナル(現:パナソニック)が発売した JR.100


後継機の JR.200




三菱の16BitCPUがアピールポイントで事業所でのビジネスユースをターゲットとしてた Multi-16
ディスプレイとFDDがオールインワンでまとめられている。




 

沖電気のif-800 はディスプレイ、8インチFDDに加えてドットインパクトプリンタまでも内蔵したビジネスユース向け。
当時の価格は100万円を軽く超える高級機なので個人で購入というのは想定されていなかった模様。



 


NECのPC-8801
たぶん日本初の「マイコン本体とキーボードを分離しケーブル接続」のマシン。
640×400ドットという当時としては高精細な表示能力とオプションの漢字ROMにより、漢字いりの和文を実用できる初のマシンと言え、各社からワープロソフト が発売されていた。
ただし、まだカナ漢字変換という機能を搭載するにはハードウェア能力が足りず、音読みを入力し、その候補として表示される漢字を1文字ずつ選択する和文タイプライ ター的なUIがホトンドだった。
当時のこうしたソフトは「N88-BASIC」で作成されていたので 「ソースがそのまま見れる」という牧歌的な時代で2種類のワープロソフトをマージしてカスタマイズするということすら可能だった。

私もアルバイトで貯めたお金でPC8801+漢字ROM+EPSONの漢字プリンタ、そしてグリーンモニタの一式を買った思い出のマシン。

 
PC-8001からのビジネス向け発展機PC-8801と並行して、ホビー方面に間口を広げる発展機としてPC-6001も発売されました。



同様にSHARPからも「一部のマニア向け」な性格が強かったマイコンをより手軽な層に訴求する狙いのMZ-700シリーズが発売された。


NECが圧倒的な覇権を制する契機となった PC-9801
16Bit CPUでの高機能と PC-8801/PC-8001の上位互換性を担保していたことで「これまでのアプリやデータも使えます」というのも大きなアピールだった。


同じ頃、プログラミング制御で操作するロボアーム「ムーブ・マスター」が登場し「メカトロニクス」(機械の電気的操作)のデジタル化を個人レベルでも演習でき るようになりました。





NECのPC-100はさらに ビジネス用途をターゲットとして文書作成に便利な縦型ディスプレイも選択でき、日本初の「マウス操作でのGUI」と「MS-DOS」搭載機でした。
しかしPC-9801系とは異なる体系と高価格なために知る人ぞ知るマシンとなっている。




極一部の人の琴線に触れる「P-ROM」ライタ。
パソコンの電源投入時の最初の段階での動作プログラム(Bootプログラム)などをROMに焼き込む機械。


館内に掲示されていた当時の広告ポスター
富士通は南野陽子さん。



SONYは松田聖子さん。


NECは どなただろう??



さらに時代は下がって、パソコン界のオーパーツと呼ばれる「CD-ROM標準搭載のマルチメディアパソコン FM-TOWNS」



ノートパソコンの始祖 東芝のJ-3100



SHARPのX68000


1990年代前半まではワープロ専用機もにぎわっていました。


通常のパソコンよりも高機能、高価格なハードウェアをワークステーションと呼んでいた時代を代表する NeXT



1990年代末、パソコンが事務機器としての地味な筐体に収束していった時代にデザインを前面に押し出した筐体を提示した iMac



当時は Lattice C や Borland C といったコンパイラがありました。




ゲーム機材も「稼働状態」で展示されいました。
 
ゴーグルを覗くことで立体視画面で遊べるバーチャルボーイ


この箱は!!!


初代プレステやセガ・サターンと同時期に発売された32Bit ゲームマシン 3DO!
”3DO” という名称そのものはマルチメディア端末の規格名(DVD規格とかと同じようなもの)で、パナソニックのは ”3DO REAL” が商品名となる。


3DO REALは今も稼働!


「ポリスノーツ」のオープニングを再生中。3DOの稼働状態を25年以上ぶりに見ることができました。



サンヨーからは「3DO TRY」という商品名で発売されていた。




 
パワーグローブもあります


 


未開封のままの8インチフロッピーディスク
容量1.2MBで ”256”とある数字はセクターサイズ



マイクロフィルムビューアーも実演してもらいました。
1cm各くらいのフィルムに焼き込まれた画像や文書を拡大表示するもの。
古いスパイ映画では「重量機密を記録したマイクロフィルム」というのがちょくちょく登場していました。




未整理な画像だけのページもあります(コチラ)

  オシマイ